流行語にもなった「おもてなし」という言葉。先日も、保育園児の茶道体験にお邪魔した際、ホストの先生が「なんのおもてなしもできませんが...」と迎え、すかさず園児の男の子が滝川クリステルをまねていた。
 和歌山県は今年、世界遺産の登録10周年にあたり、来年の国体と高野山開創1200年に向け、観光のゴールデンイヤーともいえる。来月には、県が県内の全タクシー事業者とドライバーを対象に、観光客をもてなす接客講習を開く。
 せっかくの洗練されたおもてなしも、度が過ぎると問題も起こる。たとえば結婚披露宴。新郎新婦が入るタイミングに合わせてのお辞儀、笑顔、音楽、照明、余興、料理...すべて計算して練り上げたプランも、その完璧な演出にこだわりすぎては、ゲストに礼を失することもある。
 ある男性は友人の披露宴に招待され、気分よく酔い、新郎に「キスせぇよ」と軽くヤジを飛ばした。どこの披露宴でも必ず見る光景だが、瞬間、そばにいたスタッフから怒った顔で「それはあとでやりますから」と制止された。
 また、あるブライダル関連の業者は、新郎新婦の依頼で披露宴会場に入ったが、ただ立っていただけで、スタッフに「あなたの立ち居振る舞いがお客様に悪い印象を与えているので注意して」といさめられたという。嘘のような本当の話である。
 感動を追求し、いくら段取りがよくても、細部にこだわりすぎると俯瞰の目が犠牲になる。件の業者も、一事が万事、手前のプランを押し通すため、予定外のリクエストは徹底して排除にかかる。ごく一部ではあるが、組織の柔軟性がなくなり、最上のおもてなしが、最低の思い上がりとなってしまっている好例。おもてなしは、常に大局的な視点を忘れず。 (静)