ことしは、日高新報創刊85周年の節目の年だった。9月に行われた記念式典には政財界や各種団体から大勢の皆さんにお祝いに駆けつけて頂き、社員一同感謝に堪えない。
 仁坂吉伸知事は祝辞の中で「昭和3年といえば、関東大震災(大正12年)のあとのインフラ整備が進んでいた。日本国中の人々が情報を求めていた時期で、そんな時に創刊された新聞であることに大きな意義がある」と創始者井上豊太郎氏の決断と読者のニーズに合わせた日高新報の創刊をたたえてくれた。二階俊博代議士も「私は中学生のころ、井上氏宅を訪問したことがある。水害後間もないころで、畳などなく板張りの床に座布団を出されたが、遠慮して使わず正座した。ところが帰る時に立ち上がれなくなり、井上氏から、だから足を崩しなさいと言ったのに、と笑われた。そんな優しい人だった」と氏の人間性がうかがえる逸話を披露してくれた。また、県議会の花田健吉副議長は「地方紙は生活に潤いを与えてくれるが、私たち議員にとってはありがたいと同時に怖い存在。日高新報の目が、郡市民の目になっていることを常に意識している。新聞の存在は民意の高さ。どうか誇るべきこの地方紙のさらなる発展を」と身に余る言葉を頂いた。確かに花田副議長のいうように、議員にとって新聞は諸刃の剣かも知れない。一方では議員活動に役立ち、また一方では批判を浴びることもある。
 入社して36年余り、振り返れば4ページ建てから8ページ、12ページ、さらに部数は数千部から万単位に増えた。これも読者をはじめ、株主や広告主、多くの関係者の皆さんの支援があったからこそと、あらためて感謝の念を深く心に刻み、納刊にしたい。    (高)