1780年ごろ、印南町出身の印南与市がかつお節製法を伝えた千葉県南房総市千倉町で与市の墓を守っている渡辺千代子さんから印南町と文化協会に、花が届いた。昨年12月に千倉を訪問した文化協会へのお礼と今後の交流への印で、坂下緋美会長は「これを機に200年の時を超えて交流を深めていきたい」と話し、届いた花は公民館に展示している。
 印南与市は1758年、印南村で生まれた。20、30代ごろに千倉を訪れかつお節製法を伝授。千倉はいまでこそかつお節は製造されていないが、当時は盛んに行われ、千倉の発展に大きく貢献した。数十年後与市は印南へ帰ろうとするが、当時の紀州藩のおきてでかつお節製法を藩外に持ち出してはいけないことになっていたため許されず、千倉に戻り1815年(57歳)で生涯を終える。
 与市が千倉に滞在する際、お世話になっていたのが渡辺家。死後は渡辺家の墓地に埋葬されており、今回花を届けた渡辺家子孫の千代子さんも墓を守ってきた。 昨年12月、 坂下会長らが渡辺さんに感謝の気持ちを伝えるため千倉を訪問していた。
 届いた花は、スターチスやキンギョソウ、キンセンカなど。坂下会長は「印南と同じような花があるので、気候も同じなのでしょう。与市が千倉を選んだのもこういう理由があったのかもしれません。これを機に与市がつなげた印南と千倉の絆を続けていきたい」と話している。