きょうから6月。 梅どころのみなべ町では収穫の最盛期を迎える。 日本一の梅の産地ならではの行事や取り組みがみられるのもこの時期だ。 小中学校では1日に梅取り体験学習が行われ、 児童や生徒は農作業に精を出す。 10年ほど前までは、 梅の収穫作業で疲れた女性たちの台所作業を軽減させるため、 各集会所では手の空いている女性たちが梅農家に代わって夕ご飯のおかずを調理する取り組みも行われていた。 こうした独特の行事を取材するたびに日本一の梅の町らしさを感じた。
 ところが、 ことしは産地に活気を感じない。 主力の南高梅は平年の4~5割減の作柄予想。 農家からは 「これほど実が少ない年は記憶にない」 という声が上がるほど大きなダメージだ。 5月には山間部を中心に降ひょう被害も発生し、 梅農家にとっては自然の悪条件が重なった。 加工業者も 「商品の売れ行きが低調」 と表情は浮かない。昨年7月に入った公正取引委員会の調査結果が出るのが6月中といわれ、 「処分は免れないのではないか」 という見方もある。 活気を感じないのはこうした暗いニュースが相次いだせいか。
 みなべ町で本格的に梅栽培が始まったのは昭和34年。 内中源蔵氏が山を開墾して梅畑にしたのがきっかけだ。 それからすると、 100年を超える歴史がある。 この間に幾多の苦難を乗り越えてきたからこそ、いまの梅産業があるといえる。
 毎年、 観梅時期の2月には先覚者の内中氏の遺徳を偲ぶ梅供養が行われている。 ことしも観梅協会の谷口政雄会長が 「販路の開拓や梅自体の改良などに今後も一層努力する」 と誓った。 いま、 産地にもっとも必要なことではなかろうか。     (雄)