「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」 とは、 与謝野晶子の有名な短歌。 平安の昔から近現代に至るまで、 詩歌の題材としても桜は定番である◆母が短歌を趣味としている。 病気で手足が不自由になってから旅行など思うにまかせないが、 自分の目でじかに自然の風景を見なければ歌は詠めないとのことで、 毎年桜の季節には車に乗せてあちこち回る◆日の岬、 道成寺など本紙HPで紹介している名所以外にも、 桜の美しい場所は多い。 印南町、 新大峠トンネルを抜けて古井へ下る坂道。 日高町、 比井から方杭を通り柏へ抜ける山道。 わざわざ見に来る人などそうはいないようだが、 山里の澄んだ空気の中でただひたすらに咲き満ちて空に映える花々には、 気高いまでの華やぎがある。 誰の目も気にせず、 自身の生を思いきり謳歌しているように◆今までに見た桜で印象深いのは、 京都で学生生活を始めた時に見た、 鴨川沿いの薄紅色の雲のような桜並木。 一寸法師の絵本のようにのどかで愛らしい風景だと、 新生活への期待のこもった浮き立つ思いで眺めた。 桜のある風景は、 その時の状況と一体化して蘇る。 中学校の国語の授業で、 東山魁夷の随筆 「風景との出会い」 を習った。 「 (名勝よりも) 人は、 もっとさりげない風景の中に、 親しく深く心を通わせあえる場所が見いだされるはずである」 との一文で結ばれていた◆短い期間の中で、 生命の充実の美しさを存分に見せてくれる。 そこが、 この日本人が最も愛する花の本分なのだろうか。 誰にとってもいろいろ思い入れのある花である。 俳聖・松尾芭蕉にこんな句がある。 「さまざまの事思ひだす桜かな」 (里)