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毎年7月、福島県南相馬市で開催される相馬野馬追 (執行委員会のパンフから)
 いまから1000年以上前、相馬家の始祖、平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)が新しい軍事力として馬の活用を考え、下総国相馬郡小金ケ原(現在の千葉県流山市付近)に野生の馬を放し、敵兵に見立てて訓練をしたことに始まるといわれる福島県の夏祭り、相馬野馬追(そうまのまおい)。鎌倉時代後期の元亨3年(1323)、相馬氏が奥州、行方郡(現在の南相馬市)に移り住んだあとも代々の領主がこの行事を続け、現在も毎年7月には500騎以上の甲冑騎馬武者が参加し、3日間にわたって神旗争奪戦など勇壮、絢爛に戦国絵巻が繰り広げられる。南相馬市を中心に相馬・双葉郡に至る旧相馬藩領あげて開催される国の重要無形民俗文化財は「世界一の馬の祭典」ともいわれ、太平洋に面した相馬市、南相馬市、浪江町など相馬家ゆかりのまちには馬に関する文化が根付いている。
 昔から住民の生活と馬のかかわりがとくに深く、アイルランドのような土地柄の相馬市や南相馬市には、牧場や乗馬クラブはもちろん、一般家庭でもペットとして馬を飼っている人が多い。相馬市には地域福祉の向上に寄与することを目的とした「馬とあゆむSOMA」というNPO団体があり、震災の前は主に養護学校などに馬を連れて行って、障害を持つ子どもたちが馬に乗ったりふれあい、心身機能を向上させるアニマルセラピーなどを行っていたが、現在は津波でけがをしたり原発事故により飼えなくなった被災馬を保護・飼育。その活動はインターネットを通じて全国の馬を愛する人たちの目に止まり、各地の牧場主らが支援の手を差し伸べ、和歌山県の乗馬愛好家からも支援物資が送られている。
 先月末、みなべ町の井口裕元さん(34)が日高地方の有志10人とともに相馬市を訪問し、白浜町のきのくに乗馬倶楽部から託された馬のブラシ、水、梅干し、フルーツなどの物資を馬とあゆむSOMAに届けた。事務局の中野美夏さんは「馬でつながる全国の皆さまからのご支援、本当にありがたく感謝しております。今後も被災馬に対し、長期的に物資のご支援をいただければ」。井口さんは「復興への道のりはまだまだ長い年月がかかりそうですが、できる範囲で長期に被災地支援を続けていきたいと思います」。馬とあゆむSOMAの活動、全国からの支援状況等はインターネットのブログ「馬とあゆむSOMAのブログ」で見ることができる。
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西山さんが子どものころから描いている馬の駒絵
 和歌山県被災地支援対策本部のまとめによると、県内には今月3日現在、東北から41世帯、105人が避難してきている。うち福島県からは22世帯56人、宮城県からは13世帯35人。日高地方は御坊市に福島県から1世帯1人、美浜町に福島県から1世帯3人、印南町に福島県から1世帯1人、宮城県から1世帯5人、日高川町に宮城県から1世帯3人、その他の地域から1世帯1人で、4市町に計6世帯14人が暮らしている。
 福島第一原発に近い南相馬市は、海岸沿いに南北に延びる国道6号を境にまちが津波で分断された。少し高い国道は防波堤の役目を
果たし、西の内陸側は津波の被害はほとんどなかったが、東の海岸側は壊滅的。内陸側の原町区に住む西山種大(たねお)さん(81)は幸い地震で家が壊れることもなく、津波の被害も免れた。しかし、福島第一原発からは22・3㌔の位置にあり、強制避難の半径20㌔圏内にはぎりぎり入っていないものの、自主的避難対象の20~30㌔エリア。「放射能から逃れるために皆さんを避難させます。手回り品だけを持ってバスに乗ってください」。地震発生から6日後の17日、桜井勝延市長が西山さんら住民に説明した。時間はほんの1時間ほど。行き先が群馬県などの市のバスに乗らなくてもかまわない。県内の親類や友人からの誘いもあったが、すべて断った。理由はやはり原発の放射能。迷ったあげく、「遠慮なく一家で来てください」と熱心に誘ってくれた息子の友人の家でお世話になることを決めた。場所は1000㌔以上離れた和歌山県美浜町。18日夕方、妻と息子の家族3人でマツダデミオに乗り込み、丸一日以上かかって19日の夜に到着した。「エコノミークラス症候群っていうんですかね」。80歳を過ぎた体に長時間の移動はきつく、足がずいぶん弱ったという。 
 福島では30年前から民芸品を販売する会社を経営。南相馬特産のホッキ貝の殻におひな様の絵が入った「貝びな」などを取り扱い、顧客からの要望を受け、子どものころから描いてきた「駒絵(こまえ)」と呼ばれる炭で線を引いて色をつける馬の絵の教室を始めようとした矢先、震災が起きた。
 相馬野馬追をはじめ、民芸品や工芸品の伝統、さらに民衆の生活の中で受け継がれてきた馬の文化。「絵描きみたいに立派なものではありませんが」。西山さんは美浜に避難してきてからも、遠く離れたふるさとを思って色紙に馬の絵を描いている。テレビのニュースや人づてに聞く南相馬は、人がいないために廃墟のようで、人に飼われていた犬が野良犬となって集団で走り回っているという。「私たちが南相馬を出てくるとき、店はすべてシャッターを下ろし、まちには人っ子ひとりいませんでした。こちらに来て一番感じるのは、毎日、煙樹ケ浜を散歩し、きれいな花に心が和んだりして、目の前に『普通の日常』があるということ。これがなによりの安心なんです」。友人の何人かは津波で行方不明となった。いまだ安否が分からない知り合いの家族もいる。
 「この美浜町では受け入れてくださったご家族のおかげで、何不自由なく快適に過ごさせていただいていますが、仕事ができないのがつらいです。やっぱり仕事をしてる方が楽。住み慣れたまちに早く帰りたいです...」。また1枚、望郷の駒絵が増えた。