先日、田辺市龍神村殿原区で、太平洋戦争終戦間際の昭和20年に同地区内に墜落した米軍機B29の搭乗員(11人)の冥福を祈る慰霊祭が行われた。住民らが区内の惣大明神の慰霊碑前に参列。焼香などして手を合わせ、恒久平和を祈った▼地元の住民らによると、B29は昭和20年5月5日、日本の戦闘機「紫電改」との空中戦で殿原西ノ谷地区に墜落、搭乗員11人のうち7人が死亡。残り4人はパラシュートで脱出したが、いずれも捕虜として捕らえられ、終戦までに殺害されたという▼この出来事で注目しなければならないのは、戦時中だったにも関わらず住民らが死亡した7人を手厚く埋葬し、木製の十字架の墓標を立てたということだ。加えて捕虜となった4人に対しても食料を与えた住民もいたという。国同士が対立関係にありながらも、人間個人としてはどこかで許せる気持ちがあったのだろう。戦後65年が経過した時に地元の郷土史研究家の古久保健氏は亡くなった米兵の遺族を探し、現在はメールで連絡が取れるようになっているという。この地域と米兵の遺族との国際的な友好関係があるのも、こうした経緯があったからだろう▼先日、国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)が米軍に射殺されるというニュースが大きく報道された。アメリカの民衆は2001年のテロ事件の容疑者が殺されたことで喜びが湧き上がったようだが、復讐には恨みしか生まれない。複雑に物事が絡み合う国際的な問題を簡単に考えるのは無理があるが、戦いの連鎖を断ち切るのはどこかで相手を許すことしかないのかもしれない。アメリカが言う正義とは何だろうと、考える。     (雄)