ほかのことを調べていて偶然知ったのだが、きょう2月19日は紀州藩の初代藩主、徳川頼宣の命日だという。以前からこの人物には関心があったので、この機会に調べてみた◆覇気に富む人柄であったと伝えられ「南龍公」の異名を持つ頼宣は家康の十男、8代将軍吉宗の祖父に当たる。1602年に生まれ、大坂冬の陣が初陣。思うような戦功がなかったことを嘆き、「まだお若いのですからこれから機会があります」となだめられると相手をにらんで「わしに14歳が2度くるか」と言い放ち、父の家康を感動させたという。1619年に紀伊国紀州藩に入国。藩政の基礎を築き、殖産興業を進めた。美浜町煙樹ケ浜の松林は、作物を塩害から守るため頼宣の命で植えられた◆危機が訪れたのは1651年、3代将軍家光の死後に由井正雪が幕府転覆をもくろんだ慶安の変。正雪が頼宣の印章文書を偽造していたため謀反の疑いをかけられ、それから10年間紀州へ帰れなくなる。正雪の遺書に「頼宣の名を騙ったのは人を集めるためだった」と記されており最終的に疑いは晴れたが、このため和歌山城の増築を中止しなければならず、和歌山市の地名「堀止」はこのことにちなんでいるそうだ◆2代光貞に「自分の方針を変更したければ自分が生きているうちにせよ」と言い、光貞がそんな恐れ多いことはできぬと答えると「生前ならわしが許可を与えたことになるが、死後だと親不孝者と思われかねない」と述べたという◆このように面白い人物が一般に知られていないのはもったいない。和歌山県民として、藩政史で名君と呼ばれた人物の治世を学ぶことには意義がある。化政時代の10代藩主治宝(はるとみ)も、文化や芸術を重んじて「数奇の殿様」と呼ばれる。詳しく勉強してみたい。    (里)