御坊市塩屋町南塩屋、歴史民俗資料館の講演会が5日開かれ、NHK大河ドラマで注目の「豊臣兄弟」をテーマとする講演を約30人が楽しんだ。羽柴(豊臣)兄弟の紀州攻めについて詳しく解説し、紀伊国にとっても群雄割拠の中世から大きな権力に支配される近世への大きな転換期となったことを説明。観客の歴史ファンらは興味深く聞き入っていた。

和歌山城郭研究会代表の白石博則さんが「豊臣(羽柴)兄弟来襲の前と後―日高の城跡からみる」をテーマに講演。羽柴秀吉・秀長兄弟による紀州攻めが行われた天正13年(1585)の日高地方の状況から解説していった。
羽柴兄弟来襲以前の紀伊国は群雄割拠の状態で、特に北方・東方は寺社の勢力が強かったこと、秀吉は小牧・長久手の戦いで徳川家康に味方した紀州勢を平定するために10万の大軍を差し向けたことなど説明。これによって紀伊国が中世から近世へ大きく転換し、湯河氏・玉置氏ら地元武家がそれぞれ支配していた国から、統一を目指す巨大権力である羽柴兄弟が一括して支配する国へと変化したことを順を追って詳しく述べていった。
亀山城主湯河氏の第13代当主で紀州攻めに抵抗した湯河直春については、地元のもめごとを裁定した史料など例に挙げながら「地域に信頼されていた」と紹介。手取城主の玉置氏は豊臣方となって働いたことなども説明した。
また、和歌山市太田にあった太田城の水攻めについて「紀州攻めのハイライト」とし、全長7㌔、高さ2・4㍍の大きな堤を築いて水を入れたことなど、大がかりな仕組みを詳しく説明した。また、美浜町和田の入山城城主として配された青木勘兵衛重吉は羽柴兄弟の父方のいとこだったことも紹介。
寺社、武家、一揆で立ち上がる民衆らが入り乱れていた群雄割拠の中世から、武家が政治・軍事を独占する近世へと移り変わった時代の転換期で、「悲惨な戦国時代を終わらせるため大きな権力が生まれ、そのシンボルが城。天守閣は武力を背景とした平和のシンボルともなった」と締めくくった。
また、秀吉の命によって秀長が築城した「豊臣兄弟の城」である和歌山城についても、「城道(導線)が90度曲がる形で続いており、敵のスムーズな進攻をはばむ工夫がなされていた」など特徴を詳しく説明した。
同協会副代表の松本崇秀さんも日高の城跡をテーマに講演を行った。


