「健康湯」 女将との温かい交流
御坊市の大川 秀樹さん ホール靖代さん
義烈空挺隊の一員、中本甚之助伍長(享年23)は1922年(大正10)8月11日、御坊町島(現御坊市島)の中本與之助さん、久に(くに)さん夫妻の間に生まれた。きょうだいは8人。41年(昭和16)、19歳のときに陸軍に入隊した。45年(昭和20)5月24日の沖縄戦で戦死した113人の1人となったが、その名は義烈空挺隊にゆかりある普賢菩薩像の由来を記した碑に残されている。
健軍飛行場の近く、熊本市黒髪に「健康湯」という名の銭湯があった。出撃までの待機期間中、隊員らはここで日々の訓練の疲れを癒やしていたという。銭湯の女将、堤ハツさんはそんな隊員らにお茶をごちそうしたり、縫いものをしてあげたりと、日々交流していた。

ある日のこと、谷川鉄男曹長、中本伍長、荒間俊寛伍長、菊田千代治伍長、川崎秀義伍長の5人が、いつもの訓練服ではなく落下傘部隊の襟章がついた正式の軍服を着て訪れた。彼らはハツさんに「自分たちは特攻隊である」と告げ、これまで世話になったことを感謝。水筒に別れの水をもらい、「もう必要ないから」とハツさんに金一封を手渡した。金額は75円。後日、谷川曹長からハツさんに手紙が届き、世話になった感謝と国を守る覚悟がつづられていた。
そして義烈空挺隊の活躍は当時、新聞等でも取り上げられ、話題となった。ハツさんはその報道により、彼らが沖縄で戦死したことを知った。
終戦後の45年9月、ハツさんはそのお金を元にして銭湯の前に普賢菩薩を建立。朝夕欠かさず読経し、銭湯の名称も健康湯から「観音湯」とした。
ハツさんによる碑文では「毎日入浴ニ来ル一連ノ兵士アリ 全国ヨリ選抜サレタ精鋭ノ特攻下士官 其ノ名モ義烈空挺隊奥山隊員ト聞ク」と記され、彼らの戦死を記して「嗚呼 一掬ノ涙万斛ノ恨既ニ筆舌ノ及ブ所ニ非ズシテ慟哭ノミ」と、若い隊員たちの最期に向けた深い嘆きをつづっている。77年(昭和52)、中本伍長の両親、兄弟らが観音湯を訪れ、ハツさんに感謝の意を表した。その後、ハツさんは79年(昭和54)に他界。2008年(平成20)には銭湯も廃業となった。「義烈空挺隊を供養し、平和を願ったハツさんの想いを消さないように」と、有志らの支援によって健軍飛行場近くにある浄円寺に菩薩像は移管された。
今年5月、中本伍長の親族4人が熊本県を訪れ、浄円寺を訪問。若くして戦いに散った叔父、大叔父を偲び、普賢菩薩像に手を合わせた。

