戦後50年で戦没者の石碑建立
日高川町の山本羨也さん(80)
終戦直後、8人きょうだいの長兄喜代治さんを出征した中国で亡くした末っ子の羨也さんは、中学生になると6人の兄、姉はみんな就職や結婚、進学で村を出てしまい、笠松の実家で両親と3人暮らしとなった。父長市さんは「お前がこの家の跡取りや」といい、自分も都会へ出たいという気持ちはあったが、親に反発してまで出ていく理由もなかった。高校を卒業すると、地元の村役場へ就職した。
役場では、村の教育長も務めた喜代治さんの同級生の釈野守さんの部下となり、厚生課で国保の事務や衛生関係の業務を担当した。職員になったときの村長は西川源四郎氏だったが、約1カ月後には選挙で元助役の三木武夫氏に代わり、その後の西川清定氏、池本功氏まで4人の村長(全員故人)に仕えた。川辺町、中津村と合併する前は村の収入役、日高川町誕生後は1期4年間、助役を務めた。
遺族会に関しては、喜代治さんの死後に生まれた自分は「同居のない」遺族だったが、戦争で家族を失った人たちの痛みは十分実感できた。毎年、家の近くの林松寺で行われる愛徳地区の戦没者追悼法要には欠かさず参加し、遺族会の活動を通じて知り合った他地区の人たちとともに、県や県遺族会連合会主催の式典、慰霊祭にも出席した。
戦後50年の節目の1995年(平成7)には、村遺族会として追悼と鎮魂、恒久平和の願いを込め、すべての村出身戦没者の姓名を刻んだ石碑を作り、建立することになった。3枚の横長の黒御影石に、明治10年の西南の役以降の戦没者計354人。役場職員が中心となり、県の援護課、地域住民にも協力を得て、戦没者の名簿を作成した。石碑は沖縄県糸満市の平和祈念公園に建つ慰霊碑と同じ「平和の礎」と名づけられ、初湯川の椿山ダム近く、山村広場の北側に設置。96年(平成8)10月に除幕式が行われた。

今年4月、羨也さんは山村広場のすぐそばにある書店「イハラ・ハートショップ」で開かれた戦争と平和を考える会に参加した。職業、居住地もさまざまな十数人の参加者がざっくばらんに話をするなか、最年長の羨也さんは兄が昭和の戦争で亡くなったことを報告。会が終わったあと、全員で平和の礎を見に行き、あらためてこの平和に感謝し、兄喜代治さんら戦没者に哀悼の誠をささげた。
いま、世界を見渡せば各地で戦争が続いており、日本も隣国との間で政治的緊張、安全保障上の危機がかつてなく高まっている。羨也さんは81回目の終戦の日を前に、穏やかな日常の幸せをかみしめながら、ずっとそんな日々が続くことを願っている。

