2000年12月30日、東京で一家4人が殺害された事件。25年が過ぎても犯人は捕まっておらず、未解決事件としては昭和のグリコ・森永と並んで、いまだ多くの国民にとって関心の高いニュースとなっている。
理由はやはり、衣類や血痕、指紋など大量の遺留品、物証が残されながら犯人を特定できない不可解さ、さらに犯行後も現場に居座り、冷蔵庫のアイスクリームを食べ、被害者のパソコンでネットに接続していた異様な行動も強く興味をそそる。
この謎にメディアが焦点を当てる一方、大きく取り上げられていないのが遺族の苦しみ。世田谷の被害者家族のうちの父親の母は、事件から20年以上、犯人逮捕(事件解決)を願う思いを日記に綴ってきた。90歳を過ぎてだんだん体がいうことをきかなくなるなか、家族を失った悲しみと喪失感のうえ、真相が分からないもどかしさにいまも苦しみ続けている。
世紀末から新世紀へと時代が変わる節目、一家が狙われ、家族4人が殺害された。一つひとつの事実について、頭の中に「なぜ」の問いかけが繰り返し響くが、どれ一つとして理由は分からない。この苦しみからの解放は、真犯人の逮捕しか手立てがないのか。
2年前の4月、北海道旭川の石狩川に架かる橋の上から、17歳の女子高生が川に落ちて死亡した。殺人、監禁などの罪で起訴された23歳の女は、全裸で橋の欄干に座らされ、泣きじゃくって許しを乞う被害者に、共犯者の女と2人で100回ほど「死ね」という言葉を発したという。
小説にも描けないほどの冷血。遺族の胸中は察するに余りある。被告が人間であるならせめて、自らの言葉で真実を語れ。(静)

