日高川町和佐地内にある山崎城跡で30日、発掘調査の現地説明会が開かれた。鎌倉から南北朝時代に日高川流域の川上荘50カ村の領主だったとされる川上氏の居城で、発掘調査では溝や柱穴の遺構や土師器皿などの遺物が見つかった。丘の上にあった領主の城の構造などを知る貴重な発見だという。

場所は川辺東小学校から南へ約200㍍。
調査は町道拡幅工事に伴って実施され、先月中旬から下旬にかけて約200平方㍍の範囲で行われた。
山崎城跡は日高川左岸に形成された標高42㍍の低位段丘上に位置し、麓(ふもと)との高低差は約20㍍。城跡は果樹園となっており、東西、南北に各約40㍍の不整形な平坦部が残る以外に城の存在を示す明確な遺構は残っていない。
平坦部の南端を調査したところ、溝や土坑(穴)、柱穴などが見つかったほか、鎌倉時代から南北朝時代の遺物も出土。溝は複数確認され、溝と溝の間には敵の侵入を防ぐ土塁が存在した可能性があるという。遺物は土師器皿、瓦質土器火鉢、中国製青磁皿などが発見された。
現地説明会には歴史ファンら約40人が参加。調査に関わった御坊市及び日高郡6町埋蔵文化財保護行政事務協議会の川崎雅史さん(67)が出土品や当時の時代背景などを説明し、「遺物が作られた時期や内容から、川上氏がこの地に住んでいたことが断定できる。瓦も出土していることから瓦葺(かわらぶき)の建物が存在していた可能性もあり、南北朝時代の領主館の内容をうかがう上で、貴重な発見といえる」などと述べた。

