太平洋戦争末期の1945年(昭和20)5月5日、日高郡上山路村(現田辺市龍神村)殿原の上空で、米軍爆撃機B29が日本の戦闘機「紫電改」の攻撃を受け、同地に墜落した。乗組員11人のうち7人が死亡し、4人は落下傘で脱出して生き残ったが、いずれも捕虜となった。その後、3人が処刑され、1人の行方は不明。以来、殿原区では毎年5月5日に慰霊祭が営まれ、今年も県内外から約100人が参列し、米兵の冥福と恒久平和を祈った。
墜落後、現地では遺体が埋葬され、墓標と十字架が建てられた。慰霊祭は戦時中の45年6月9日に第1回が行われ、村長、助役、警防団長、区長らが参列した。終戦から2年後の47年には、多額の費用を投じて慰霊碑も建立された。もちろん、米兵を弔う行為に批判もあった。それだけではなく、殿原小学校近くの屯所に拘留されていた捕虜に、住民がおにぎりを差し出したという。敵国の兵士に対し、情けをかけた事実には驚かされる。
殿原の人々の中には、アメリカとの戦争で身内を亡くした人もいただろう。それにもかかわらず、なぜここまで敵国兵を手厚く葬ることができたのか。そこには、強い憎しみの中にも、どこかで相手を「許す」という気持ちがあったのではないだろうか。
アメリカとイスラエルによるイラン攻撃が始まってから2カ月が経過した。終戦に向けた交渉も行われたが決裂し、現在も戦争状態。しかし、戦争を終わらせなければ犠牲者が増える一方で、終戦させることが必要だ。それには報復の連鎖をどこかで断ち切らなければならない。殿原の慰霊祭は、その大切さを長年にわたって語り続けているように思える。(雄)

