
先日決まった、第174回直木賞の受賞作品をご紹介します。
物語 関東大震災から2年以上が経った大正末期。東京・上野の一角、「商店街と呼ぶには歯の欠けすぎた通りのちょうど真ん中」に、カフェー西行はある。
食堂ですら一人で入ったことのない稲子だが、意を決してこの店にやってきた。ここの美しい女給が、自分の夫の銀次と親しいらしい。「竹久夢二の絵みたいな、いやに色っぽい柳腰の美人」だという。それらしい女給は、確かにいた。夢二の絵の女そのまま、紙に描いたように平面的で美しい。稲子はコーヒーを飲み干し、「夢二」に会計をしてもらった。丁寧に接してもらった稲子は、いい気分になってくる。「美しい人に丁寧に扱われることがこんなに心地いいなんて」。
その女給、澤井タイ子はやがて「夢二の美人画に会えるカフェー」という小さな新聞記事で紹介されてちょっとした有名人になり、大きな店へ移っていく。
稲子はそのあと「西行」を訪ねてそれを知り、思いつめてタイ子が4歳の息子と2人で暮らす家を訪問。そして、字の読めなかったタイ子が、女学校教師である夫の銀次から字を教わっていたことを知るのだった。自分のことを書いた記事の載った新聞を指さし、「こうやって新聞が読めるのも先生のおかげと思うと、本当にありがたいわ」と屈託なく笑うタイ子に、稲子は心を和ませる。(第一話「稲子のカフェー」)
およそ100年前、大正末期から始まって戦後に至るまでの20年余り、「カフェー西行」という小さな店の歴史。とりたててドラマティックなことが起こるわけでもない、女給たちのささやかな物語。それでも、銘仙の着物の上にエプロンといういでたちの彼女たちの表情や言葉が、その時代の空気の中に鮮やかな存在感をくゆらせます。そして彼女らの平穏な日常にも戦争が暗い影を落としていくことが、抑えた筆致で描かれます。
100年経っても変わらないものは、人と人とのつながりのあり方。丁寧で優しくどこか軽やかな書きぶりが、彼女たちの生きて来た日々、生きていく健気な決意を、読む者の胸にくっきりと浮かび上がらせるようです。
エンターテイメント系の作品に与えられる賞という直木賞への印象を持ったままで本書に向かうといくらか物足りなさを覚えるかもしれませんが、ほのぼのと明るい読後感をくれる一作です。
(里)


