
「ハーバード白熱教室」で有名なサンデル教授の中国文化論である。ハーバード大学にて政治哲学を講義していたサンデル教授は、選りすぐりのエリート達に「殺人に正義はあるのか」「命に値段はつけられるか」「富は誰のものか」などといった難問を提議し、哲学を基にして学生達と議論を尽くす。その模様がNHKで採り上げられると日本でも大評判となった。しかし、この議論は西洋哲学を元にしており中国哲学的アプローチは皆無であった。その反省を元に本書は書かれている。
例えば、「他家の羊を盗んだ父親を正直者の息子は告発すべきか?」。この問いに、自由を重んじる西洋哲学の伝統に照らせば、答えは「イエス」。一方、儒教の祖・孔子はこの問いに「ノー」と答える。孔子によれば、親は子をかばい、子は親をかばう。これが真の正直さであると説いている。この考えは西洋にはなかった。
サンデル教授は一九五三年ミネアポリス市出身、米国の大学を卒業すると、その後英国へ留学、オックスフォード大学より哲学博士号を授かる。
サンデル教授の基本的な姿勢は、アリストテレス、スピノザ、カント、ジョン・スチュアート・ミルといった考えを受け継ぐ。
―社会は、人が他人に危害を加えるのを防ぐことは許されるが、人が自分のために、道徳的人格の向上のために行う選択を邪魔してはならない―。
これをミルと孔子において比較すると、ミルは個人と自由を称賛し、孔子は家族と「孝」の道徳的優先性を重要と考えている。ミルにとっては美徳の涵養は私事であり、それは公共の関心事ではない。中国の哲人にとっては私的な道徳と公的な道徳の境界はそれほど明確ではない。
サンデル教授は中国の大学でもこれについて講義をした。このとき学生たちがどう考えるのかにサンデル教授は関心があった。学生らはミルのリベラリズムに魅かれるだろうか、それともそれに批判的だろうか。孔子や孟子の強い家族倫理に賛成だろうか、それとも反対だろうか。当然ながら意見は様々だ。一部の反対意見は、この相容れない解釈に我々を引きずり込んだと本書で述べている。
サンデル教授はどちらの意見が正しいとも述べていない。重要なのは、「相容れない意見にわれわれをひきずり込んだことだ」と述べる。
この記述だけで本書の紹介をしたかどうか? 私には分からない。(秀)


