年を重ねて体力はもちろん、記憶力も落ちているのを実感しているが、日々の出来事を長い間、細かい部分まで正確に思い出せる人はすごいなと感心する半面、フェイクニュースの世の中、記憶が簡単に書き換えられる恐ろしさもある。
人の記憶は、スマホの動画のように、ダウンロードすれば何度でも同じ内容を再生できるわけではなく、目や耳からの情報が脳内に書き込まれ(記銘)、重要なものは定着(保持)し、常に新しい情報が入ってくるなかで、必要に応じて思い出す(想起)らしい。
ある出来事も、記銘、保持、想起を繰り返しているうち、質問の仕方によって内容が少しずつ変わることがある。たとえば交通事故の目撃者。後日、警察から衝突時の状況を問われ、「車が当たったときは…」と聞かれるより、「車が激突したときは…」と聞かれる方が衝撃は大きいと感じる。
その結果、飛び出していないエアバッグが出ていたり、割れていないガラスが散らばっていたり、実際には起きていないことが記憶に加えられる。後から見聞きした情報の影響を受け、すべて自分が体験したこととして無意識に記憶が更新されてしまうのだという。司法の取り調べは細心の注意と監視が求められる。
80年前の戦争体験も、まるで昨日のことのように鮮明な情景を語ってくださる人もいるが、それがありのままの記憶なのかどうかはわからない。逆に平穏な日常の最近の記憶であっても、内容的にどうでもよければすぐに薄れ、事後情報で簡単に変容する。
遠い過去の戦争や自然災害、冤罪事件もその出来事を教訓に、平和や安全、人権を守らねばならない。記者として、ありのままの記憶を見極め、伝えていきたい。(静)


