子どもの頃、小学校の池にハスがあり、「大賀ハス」と書かれていた。茎を揺すり、葉の上で銀色の露が転がる眺めを楽しんだ思い出がある。今年は大賀ハスが初めて開花してから70周年である◆1951年に千葉市の東大農場で二千年前の地層から種が発掘され、翌年開花した古代ハス。開花を成功させた大賀博士と、愛弟子で日高高校教諭だった故阪本祐二さんとの縁で1962年、美浜町三尾の池に大賀ハスが分根、池は大賀池と名付けられた。当時、同じ町内の小学校にも分けられたのだろう◆和歌山大賀ハス保存会では、昨年の大賀ハス発見70周年記念事業で、記念誌「蓮の実」を発刊。大賀池保全への同会の取り組み紹介のほか、発掘場所の千葉市の大賀ハスを生かした地域おこし、各地で「大賀ハス擬(もど)き」が出現している問題に取り組んだ元東京都職員・故古幡光男さんによる一文が収録され、読み応えがある。特に古幡さんの文は、真正な大賀ハスを追求し自身で詳細な調査を行った情熱が伝わり、頭が下がる思いであった。千葉市で25日、開花70周年フォーラムが開催。阪本祐二さんの長男で和歌山大賀ハス保存会会長の阪本尚生さんがこの「大賀ハス擬き」について問題提起を行った。交配が進むこと自体より、変化した花が「大賀ハス」としてまかり通ることに問題がある◆「蓮ハ平和の象徴也」との大賀博士の言葉を刻んだ石碑のある大賀池で、かつては毎年短歌会や俳句会が開かれていた。「世の濁り浄むる花か大賀ハス紅(くれない)十華朝光(あさかげ)に咲く」。筆者の母が数十年前の観蓮短歌会で詠んだ歌である。二千年の時を超え蘇った花には、争いのない世界の美しさが湛えられているようにも思える。 (里)