本丸に残された石を見学する参加者

 和歌山城郭調査研究会の第1回公開見学会「戦国紀州最大最強の山城 玉置一族の手取城跡」が22日、日高川町和佐の手取城跡などで開かれ、約50人が参加した。

 手取城跡は東西約500㍍、南北約250㍍ある県内でも有数の大規模な山城。奈良県十津川村の玉置神社ゆかりの武士とされる玉置一族の城といわれており、玉置氏が南北朝時代に紀伊日高郡に進出して勢力を持ち、室町時代には、将軍の親衛隊にあたる奉公衆として活躍。戦国時代に一族の本城として手取城を築いたと考えられている。

 参加者は、最寄りの和佐駅に集合し、久留米啓史町長や龍田安廣町議会議長の歓迎を受けたあと、生蓮寺で戦国時代の城主玉置直和の座像を見学。標高171㍍の手取城跡に徒歩で向かい、敵の移動を妨げるために尾根など通路を遮断するように掘られた「堀切」と呼ばれる空堀などを見ながら登山。広さがある二の丸で弁当を食べたあと、本丸に登り、日高川や湯河氏の亀山城などが見渡せる景色を楽しんだ。本丸には建物の礎石のほか、大きな石も残されており、同研究会の白石博則さんは「この石は、庭園に使われていたと考えられる。日高平野の半分を見下ろす場所に立派な庭を造り、客に自身の権力を見せつけたのでは」と話した。天守閣はなく、瓦の破片が多く見つかっていることから、城になる前は山岳寺院だったと考えられていることなども紹介した。

 全国の山城を見て回っているという愛好家の上ノ山潤子さん(74)=大阪府熊取町=は「堀切が見たくて来ました。途中の道も整備され、見学しやすく、遺構もたくさん残っていて楽しいです」と笑顔を見せていた。

 手取城址保存会の栗林節蔵会長は「現在は、町指定文化財になっていますが、県の指定などを目指し、後世にしっかり残せるようPRしていきたい」と話していた。