「お前はなんの病気で死んだんや?」「腎臓でんねん。おしっこが出にくくなって…」「しーしー16の1600円やな。お前はなんや?」「肺です。煙草の吸い過ぎで…」「ほな、パッパ64で6400円」。おなじみの上方落語「地獄八景亡者の戯れ」の一節。

 三途の川を渡ろうと列をなす亡者たちに、鬼の船頭は向こう岸(賽の河原)へ行きたければ渡し賃を払えという。料金は一人ひとり、病気と死に方によって異なる。まさに地獄の沙汰も金次第、世の中のことはすべてお金で解決できるという話。

 同じ意味で、阿弥陀の光も銭次第という言葉もあるが、いずれも選挙に勝つために金を配ったり、公共工事を受注するため役人に賄賂を贈ったり、昔からいまも不正や汚職があとを絶たない世の中に対する風刺、やっかみから生まれたのだろう。

 たしかに、世の中は金さえあれば何でもできるし、手に入るように見える。豪邸に住み、高級料理を毎日食べ、高級車を次々乗り換え、男前でなくても、背が高くなくても、学歴がなくても、人気女優と結婚できる。

 そうして欲しいものを手に入れ、やりたいことをひと通りやってしまうと、今度は人にお金をあげたくなり、お金だけではかなわないちょっと危険な「夢」を実現したくなるものなのか。たとえば宇宙旅行など。

 テレビやスマホで見るともなく見ているあの人のニュース。正直、何も響かない。無論、他人のお金の使い方に文句をいうつもりはないが、少し前の神田うのがまた宝石を盗まれたという話と同じぐらいどうでもいい。

 マスコミと受け手の感覚にズレはないか。莫大な個人資産、宇宙旅行にかかる費用と今後の値下がり予測など金の話に、純粋な夢も地獄の沙汰に聞こえてしまう。 

(静)