先日、休みをとって京都へ行ってきた。コロナが落ち着き、平日とはいえけっこうな渋滞を覚悟していたが、意外にも市内中心部の道は閑散。観光客も戻りつつあるが、まだ完全に元通りでもなかった。

 用事を済ませて午後1時すぎ、岡崎公園で知人と待ち合わせた。道に面した京セラ美術館の駐車場は空きがあり、動物園にある人気のレストランも待つことなく、窓から見下ろす広場の木々は紅葉が美しかった。

 大通りを走っていると、消防署から消防車が何台も出てきた。街のいたるところにある世界遺産、国宝、重文の寺院、仏像を守るため、士気の高さは日本一ともいわれる京都市消防局。消防車の列は、火災予防運動初日の啓発だった。

 それで思い出したわけでもないが、以前から行きたかった六波羅蜜寺へ行ってみた。拝観料を払って本堂裏の宝物館へ回り、その狭い空間に入った瞬間、薬師如来を囲む持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王に射すくめられた。

 目当ては寺の代名詞でもある有名な空也上人像。ガラスの向こうの空也上人は教科書で見た通り、口から南無阿弥陀仏の6体の仏が現れ、やせこけた小さな体にぼろぼろの袈裟をまとう姿はとても高僧には見えない。

 疫病が蔓延し、死屍累々の京を歩き、死者や病人に寄り添って悪疫退散を祈った。宝物館には空也上人より格上の弘法大師の坐像もあったが、山田太一さんのいう通り、自分には空海よりも空也の方がしっくりくる気がした。

 その日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが京都の病院で亡くなられた。51歳で出家し、孤独や病に苦しむ女性、若者に寄り添い、死の淵から救われた人も多かろう。その生きざまはまさに現代の市聖(いちのひじり)だった 。  (静)