社会の新しい年が始まる4月、日高新報社では2人の新入社員を迎えた。1人は、専門学校を卒業したてのフレッシュな新人で、広告デザインを担当する。もう一人はなんと富山県から、本紙の記者を志望。このコロナ禍、ビデオ通話での面接をクリアして着任した。3年前、記者の「き」の字も分からず入社した筆者に、初めて直属の後輩になる仲間ができた。
節目の季節、少し周囲を見渡すだけでも、進学のため子どもを送り出した父、初めての子が0歳児クラスに入園したパパ、ママ、新築した家に引っ越し、新たな土地でスタートを切った家族、2年間大阪での専門学校生活を終え、再び地元に戻った娘を迎えた母などと、家族の物語がそこここにつむがれている。
富山からの新入社員も同様で、繁忙期、手配できなかった引っ越し業者の代わりに、お父さんがワンボックスカーを借りて、家財道具を積み込み駆け付けてくれたと聞いた。筆者も26年前、大阪に就職するとき、両親が荷物を積んで引っ越し作業に一緒に来てくれた時のことを思い出した。当時は、荷物も少ししかなく、身軽で「どこにでも行ける」と感じていたこと、「自分の力で生活していくんだ」「いろんなことをやってみよう」と希望に満ちていたのを懐かしく思う。
結婚して新しい家族ができ、身の回りのものもいつの間にか多くなった。大切なものが増えた分、身軽さは無くなったが、これを「落ち着いた」というのだろう。では「希望」はどこへいったのか。日常を過ごすだけになっていることに気が付く。自分の人生をおもしろくできるのは自分だけ。あの頃のように、全てが輝いて見えることはなくても、チャレンジする気持ちは持ち続けたいと思う。(陽)


