昨年末、外国の正月について取材する機会があった。正月と言っても1月1日を区切りとするのではなく、宗教的な観点から別の日に祝う国もあるし、国によって風習も異なる。花火を上げたり、仮装して大騒ぎしたりするなどさまざま。外国は日本と比べて比較的にぎやかに過ごすと言えるのではないだろうか。それに対し、日本は大晦日に大掃除を行い、門松やしめ縄を飾る。年が明けると、初詣、おせち料理を食べて新しい年を迎える。静かで、厳かといえるだろう▼しかし、日本の正月の仕来り(しきたり)も時代の流れで随分と変化している。筆者が子どもの頃の40年ほど前は、どこの家庭でもしめ縄を玄関などに飾った。それだけでなく、車にも正面のフロントグリルにも取り付けた。しかし、いまではそういう風景を滅多に見ない。もちつきや門松も近年はめっきりと減ったし、年賀状も年々減少しているようだ▼正月の風習には意味がある。それは年神に由来することが多いという。門松は神を迎え入れる目印、しめ縄は神を迎える穢れ(けがれ)のない清浄な場所。もちは供え物、おせち料理を食べる祝箸は神と一緒にいただくという意味で両方が細くなった箸を使う。それは1年を無事に過ごすという人々の願い。そうした風習が簡素化され、消えゆくことに対する寂しさを感じてしまうが、時代の流れに合わせて変化するのは当然といえば当然といえるだろう▼しかし、神仏を敬うことは大切。常に頭の上に神が存在するという気持ちを持つことによって、自分の行動を律することにもなる。正月の風習の形が変化しても日本人の心までが変化してしまうと、無事に1年を過ごすことは難しいのではないだろうか。(雄)