人間国宝の歌舞伎役者、四代目坂田藤十郎さんが今月12日に他界した。享年88歳。上方歌舞伎の大名跡を実に231年ぶりに復活させ、大きなニュースになったのは15年前だが、昨日のことのようによく覚えている◆10歳の時に二代目中村扇雀を襲名、長らくこの名で活躍。「曾根崎心中」のお初役などで大人気を博し「扇雀ブーム」が起こった。扇雀飴なども発売され、筆者はこの飴でその名を知った覚えがある。実際に舞台を目の当たりにしたのは20年ほど前、前名の三代目中村鴈治郎の時。御坊市に「夏祭浪花鑑」で来演した◆藤十郎さんの出演は短い時間だがお辰という重要な役どころ。主筋の若旦那を悪漢から守るため遠方へ送り届ける役を買って出ようとするが、美しい人妻のお辰は「顔に色気がある。若旦那と間違いがあってはいけない」と止められる。そこで囲炉裏にあった熱い鉄棒を顔に当て傷をつくり、気迫で相手を説得。そんな顔になって夫に嫌われはしないかと心配する相手に「こちの人が好くのはここ(顔)じゃない」、胸をドンとたたいて「ここでござんす」。成駒屋と声のかかる名場面であった。歌舞伎ファンになって間もない頃。派手な演出の時代物が好きだったが、人情の機微を押さえた世話物の魅力をこの作品で知り、はんなりと色っぽいだけでなく侠気ある女性を演じた藤十郎さんが強く印象に残った◆あらゆるエンターテイメントが影響を受けるコロナ禍。心の糧となるのはこれまで観た舞台の記憶の蓄積であり、いつか観られる舞台への熱い期待だ。歌舞伎は伝統芸能であると同時に、常に時代の息吹を吸収する第一線のエンターテイメントでもある。その真髄を体現する偉大な役者であった坂田藤十郎さんの冥福を、謹んで祈りたい。(里)


