美浜町三尾のカナダミュージアムで16日から、「アメリカ村の看板婆さん」と呼ばれた元カナダ移民中津フデさんの企画展が開催される。三尾に住む東大生岩永淳志さん(22)の研究、調査による展示で、顔も知らない日本人移民と結婚して1人でカナダに渡り、差別や戦争に翻弄されながらも強く生きた女性の生涯をパネルで紹介。移民の暮らしや歴史を身近に感じられる内容となっている。

 企画者の岩永さんは、昨年8月から大学を休学し、三尾のゲストハウス&バーダイヤモンドヘッドに住み込み、手伝いをしながら地域の人と関わってきた。カナダ移民について聞き取りを続けてきた中で、共通して「中津フデ」という女性の名前が挙がり、アメリカ村の象徴的な人物だったことを知って、これまでなかった1人の女性の人生を紹介する展示を作りたいと、調査、研究してきた。

 フデさんは、1890年(明治23)に生まれ、小学校を4年で卒業するまで13年間を三尾で過ごし、大阪へ奉公に出た。23歳でカナダにいる顔もみたことのない日本人と結婚し、3年後にカナダへ渡り、ようやく夫と対面。3人の子どもに恵まれたが、34歳の若さで夫を亡くした。

 子どもたちを日本に帰し、自分はカナダに残って、家政婦や豆腐屋で働き、日本への送金を続けた。その後、子どもを1人亡くし、長男はカナダ、次男は三尾で暮らしていたが、太平洋戦争が起こり、日本にいる次男が出征してしまう前に再会するため、24年ぶりに帰国した。

 カナダの長男は強制収容され、次男も出征したが、いずれも無事に終戦を迎えた。戦後、長男はカナダ、次男は大阪で暮らしたが、フデさんは息子たちを頼ることなく三尾に住み続け、1986年に96歳で亡くなった。

 三尾では英語混じりの言葉を話し、礼儀や女性らしさなど独特の感性を持ち、たくましく暮らしていたという。メディアがカナダ移民の取材などに訪れると、フデさんが対応することが多く、「アメリカ村の看板婆さん」として有名だった。

 岩永さんは三尾での目標の一つ、「多くの人と関わって、三尾の人たちの目線でものごとを見る」ため地域の人たちと交流を続けてきた中、今年6月ごろから、この企画展の調査を始めた。交流で広げた輪で、フデさんが健在な当時を知る高齢者から聞き取りを進め、当時フデさんが住んでいた家が残っていることや、義理の姪が三尾にいること、大阪の孫の存在など情報を得て資料を集め、波乱万丈のフデさんの生涯をまとめた。

 開催にあたっては「一人の人の人生を通して、移民史や移民者の暮らし、家族の関係や戦争のことが分かる展示になっています。フデさんについての資料がほとんどない状態で手探りでしたが、皆さんの協力で実現することができました。移民に興味がない人にこそ見てもらって、身近にいるようなおばあちゃんのドラマチックな人生を感じてほしい」と話している。

 展示は12月28日まで。入館料は150円。営業時間は午前10時から午後4時で、毎週火曜が休館。問い合わせは同ミュージアム℡0738―20―6231。

写真=展示されるフデさんの名言を集めたパネル