11月は有間皇子の命日月であった。顕彰団体、東山の森Arkが毎年、周知イベント「有間皇子ことはじめ展」を開いている。いつも新たな知識を得ることができているが、今年は令和元年ということで、新元号の典拠となった万葉集に関する講演会が開かれた◆全国万葉協会幹事、馬場吉久氏の講演で今回新たに知ったのは、「岩代の結び松は『歌枕』の発祥で、日本の文学史上重要」ということ。「歌枕」とは名所を詠み込んだ和歌で、歴史的な背景や物語などを踏まえ味わい深く鑑賞できる。万葉集に有間皇子の歌として収められているのは2首。「磐代(いわしろ)の浜松が枝を引き結ぶ真幸くあらばまた帰りみむ」「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」。筆者が先に知ったのは「家にあれば」の方だった。旅の枕詞「草枕」が使われている歌の例として知り、野外の食事を楽しむのんきな旅の歌だとばかり思っていた。刑死を目前に護送中に詠まれた、19歳の少年・有間皇子の歌だとは知らなかった。「岩代の」の方は、哀切な思いが一層はっきりと詠まれている。岩代のこの浜辺の松の枝を引き結んでいこう。幸いにも生きながらえることができたなら、また帰りにこれを見ることができるだろう。しかしこの願いが叶うことはなかった◆この哀切な歌は有名歌人の心をも動かしたようで、柿本人麻呂も山上憶良も皇子の悲劇を念頭に「岩代の結び松」を詠んでいるという。それが「歌枕」の発祥となった。その事実は日高地方のみならず、当県の財産といっていい◆当日は和歌山南陵高の生徒も校外学習で参加。子を思う親の心を詠んだ山上憶良の歌を馬場さんから教わっていた。年齢の近い悲劇の皇子の存在を、心の隅にでもとどめてくれればと思う。(里)


