6月19日は桜桃忌。芥川龍之介の河童忌、司馬遼太郎の菜の花忌ほど有名ではありませんが、太宰治の命日で、誕生日でもあります。太宰の絶筆「グッド・バイ」を下敷きに、人気実力派作家伊坂幸太郎が書いたユニークなオマージュ的長編をご紹介します。

物語 星野一彦は多額の借金を背負い、得体の知れない闇の組織によって「あのバス」で連れて行かれることになっている。もう二度とは戻れないかもしれない。

その前にどうしても、恋人に別れを告げたい。それは決して簡単なことではない。心優しい星野は、5人の違う女たちと同時に付き合っているのだ。浮気とは違い、どの女をも真剣に愛していた。 

闇の組織は星野に、彼女達に事実を告げることを禁じる。「結婚することになったから別れてほしい」という方向で口上を述べなければならない。組織からは、繭美という女が派遣されてきた。別れの行脚に同行し、結婚相手役を演じながら星野を監視する。

その繭美は、実にとんでもない女だった。身長190㌢、体重200㌔。外見は金髪の白人で「ハーフ」だというが、日本語しかしゃべれない。態度も言葉遣いも粗暴で、誰のことも「おまえ」と呼び男言葉を使う。人の神経を逆撫ですることを生きがいにしているとしか思えない言動。なぜか辞書を持ち歩いているが、気配り・愛想・同情・人助けなどの言葉は黒く塗りつぶされている。

星野は繭美と連れ立って5人を順に訪ねては、怒りや嘆き、哀しみ、あるいは「私、今それどころじゃない」などさまざまな反応に出会い、それぞれの場でささやかだが意外性に満ちた物語が生まれていく。

そして行脚の果てに、星野はやはり「あのバス」で地獄よりもひどい場所へ連れ去られてしまうのか…。

「主人公がとんでもない女を連れて、複数の恋人を順番に訪れては別れ話をしていく」という、著者の思いつきそうなユニークな設定ですが、ここまでは太宰の原典「グッド・バイ」と同じ。しかしその設定をジャンピングボードに、原典よりも遥かに高みへ飛んで、面白く、哀しく、味わい深く、先の読めない傑作長編に仕上げているのはさすがです。

原典よりも主人公は愛すべき人物で、その代わり付き添う女は話にならないほどひどい人物。そのやりとりはかなり笑わせてくれ、5人の恋人の抱える事情もユニークで、ページを繰る手が止まりません。それぞれの別れ話の行方が一つ一つの好短編になっており、笑わせたり泣かせたり、爽やかな感動をくれたり。やっぱりこの人は並みの才能じゃないなと思えます。

発案した編集者に、名作を生み出してくれてありがとうと感謝したいくらいです。