「父はみんなで協力し合って、成果を分かち合うことを生涯貫いた」。1964年東京オリンピック誘致に貢献した御坊市名誉市民第1号の故和田勇氏の次女・マリコさんの言葉。先日、14年ぶりに来日し、御坊市や和田勇顕彰会が主催のパネルディスカッションでは特別ゲストとして父との思い出や人柄を語った。和田氏は5歳から9歳までの約5年間を両親の出身地である名田町や由良町戸津井で過ごした。漁師の網元のような生活で、船を出したり網の片付けなどすべて村中の人たちが協力し合い、獲った魚は平等に分けた。この生活が和田氏の原体験になったと強調していたのが印象的だった。

 限られたスケジュール、日本の親戚らも会いに来ている貴重な時間の中でも、筆者らの質問に丁寧にフレンドリーに答えて頂いた。人を大切にする、和田氏の血が流れているのだと感じさせられた。和田氏は東京五輪誘致のために、自費で中南米を中心に飛び回り、関係者と信頼関係を築いて東京開催への支持を取り付けた。戦後の日本が立ち直るまで支援したいとの思いが原動力だったという。マリコさんも、顕彰会の活動に感激し、自費で御坊に駆け付けてくれた。情の厚さも両親譲りだ。

 和田氏は明治40年生まれ、大正、昭和、平成(13年に93歳で死去)とまさに激動の時代を生き抜いた。和田氏の幼少期と比べれば、いまは何一つ不自由ない生活を送れる人がほとんど。しかしながら、この田舎でも隣近所の希薄化が進んでいる。何でも助け合って、みんなで分かち合う、マリコさんが話した和田氏の精神は、今に生きる我々への熱いメッセージだと受け止め、少しでも近づかなければと感じた。(片)