本紙創刊90周年記念事業「戦争と平和を考える講演会」が11日に御坊市民文化会館小ホールで開かれ、元中学校長の古久保健さん(80)=田辺市龍神村殿原=が「戦争体験を語る」をテーマに講演。「高齢者には、自分の経験を若い世代に伝える責任がある」と、子どものころB29の龍神村墜落を目撃した経験などを克明に語って平和の尊さを訴えた。古久保さんがアメリカで米兵の遺族と対面した模様などを収めたドキュメンタリー映画「轟音」も上映。200人の参加者から感動の拍手が送られた。

 B29墜落を目の当たりにしたのは1945年5月5日、小2の時。午前11時前、大きな飛行機のエンジン音に外へ出て見上げると、星のマークの戦闘機と日本の戦闘機が撃ち合っていた。やがてB29が火を噴き墜落。現場の西ノ谷に行くとオイルの強い匂いが立ち込め、手首、胴体など遺体の一部が散乱していた。「鬼畜米英」と教えられていた古久保さんは大人に言われて遺体に石をぶつけたが、「その時に石を投げた手の感覚、胴体に石が当たる音は今も体に残っている」と話し、あとで調べて分かったこととして、「墜落時には4人の兵士が生存。その後、大阪憲兵隊に連行され、3人は銃殺、機長は終戦日当日に斬首された」と静かな怒りを込めて語った。

 古久保さんも父を日華事変で亡くしており、父の最期の地を中国へ訪ねた経験から「米兵の遺族に彼らの最期を伝えたい」と思うようになり、大使館や領事館に手紙を出すなどして遺族探しを始めた。幾つもの偶然が結び付き、レーダー手だったトーマス・クローク少尉の妹エリザベスさんと連絡がついた。2013年に訪米し、対面が実現。「戦争で家族を亡くした者同士、お互いできるだけ長生きして平和の大切さを若者に伝えていこう」という彼女との固い約束を紹介した。「アメリカは、遺骨をすべて本国へ持ち帰るよう努力している。日本は350万人以上が亡くなったが、111万3000体の遺骨は帰っていない。その上に立って、私たちは生きている。二度と戦(いくさ)はしてはいけない、戦争は嫌だ、ということを、姿勢を正して訴えていかなければならない」と強い口調で語った。

 講演のあと、大阪芸術大学映像学科学生が制作したドキュメンタリー映画「轟音」を上映。当時を知る殿原の人々の証言を紹介し、古久保さんの訪米をスタッフが同行して撮影した。古久保さんは当時82歳と高齢のエリザベスさんにショックを与えるのではと気遣ったが、彼女は「大丈夫だから真実を聞かせてほしい」と願い、見たままに伝えた。「遺体に石を投げたことが今も忘れられない」と涙を浮かべて告げ、彼女も涙ぐんで「つらい思いをされたのですね」とねぎらう場面では、涙する観客の姿もみられた。映画の最後に、エリザベスさんがその翌年、83歳で亡くなったこと、遺言で殿原区の慰霊祭に寄付が行われていることなどが字幕で紹介された。

写真=B29墜落時の記憶を語る古久保さん