美浜町出身で鹿児島を拠点に活動しているシンガーソングライター、宮井紀行さんが1日、同県内で2番目に大きいコンサートホール「宝山ホール」の単独ライブを成功させた。「なまず」で上京、大手レーベルからデビューを果たすも4年足らずで解散、鹿児島に戻りソロとなって12年。キャリアハイとなる約1500人を動員し、メジャー再デビューへ確かな手応えをつかんだ。
鹿児島第一工業大学1年のとき、福井出身の倉田暁雄さんと伝説のユニット「なまず」を結成。鹿児島最大の繁華街「天文館」で毎週土曜深夜にストリートライブを始め、他のミュージシャンがゆずや長渕剛をカバーするなか、オリジナルをうたうなまずは一人勝ちの人気となり、そのまま一気に上京、夢のメジャーデビューを果たした。
しかし、東京では事務所の方針により、メインボーカルだった宮井さんはコーラスに回り、ステージでしゃべることも許されなくなった。なまずは鹿児島と東京でまったく別物となってしまい、鹿児島時代からのファンは目に見えて離れ、結局、メジャーデビューから約3年8カ月で解散した。
2005年4月、一から音楽をやり直そうと、ソロとして鹿児島で活動を再開した。毎年秋のワンマンライブの会場を少しずつ大きくしながら、4年目には200人、6年目には600人のホールとなり、11年目の昨年は1000人規模のライブを開催。「これまでまいてきた種が芽を伸ばし始めた」(宮井さん)ことしは、テレビやラジオの仕事を自らすべてリセット。活動を音楽に集中、8月に5枚目のアルバム「青写真」をリリースし、9月には全国43カ所のツアーを終えた。
今回の宝山ホールはソロで最大規模の1502席。地元鹿児島をはじめ、ふるさと和歌山、遠くは名古屋、東京、仙台からもファンが駆け付け、バンド編成のステージは約2時間半、合間にはコントも行われ、満杯の客席と一体となって盛り上がった。
宮井さんは「和歌山からも大勢足を運んでくださり、おかげさまで大盛り上がりで大成功でした。最後の最後まであきらめないこと、『宝山に挑んでよかった』という気持ち、応援してくださる皆さまへの感謝の気持ちでいっぱいです」と話している。

