県文化遺産課は1日、日高町役場北のバス車庫移転予定地で「高家遺跡」の初の発掘調査を行い、奈良から平安時代の土器と推定される皿のかけらなど約50点が見つかった。土器自体は珍しくないが、未解明の高家遺跡が古代の集落としてその場所に存在していたことをより一層裏付ける貴重な発見となっている。
 県によると、昭和40年代に全国の遺跡地図を作成する簡易な調査が行われ、その際に現在の日高町役場北の田んぼから土器のかけらが見つかったことで高家遺跡があると推定されていた。しかし、現場の発掘調査をしたことがなく、文献も残されていないことから、遺跡の詳細な規模や場所など謎の部分が多い。町では役場北に新たな駐車場を整備し、バス車庫と水防倉庫の移転などを計画しているが、バス車庫と水防倉庫の基礎工事部分について、遺跡保護、記録の観点から発掘調査が必要となった。
 今回調査をしたのはバス車庫整備予定地で、既設の水防倉庫のすぐ北側。先月24日に試掘を行ったところ出土品があったため、1日に6カ所で本格的に発掘を行った。それぞれ2㍍四方、深さ1㍍まで堀ったところ、田んぼの地層の下から「須恵器」と「土師器(はじき)」のかけらが次々と発見された。須恵器は灰色の焼き物で、出土したのは茶碗の底のような「高台(こうだい)」が付いた皿。土師器は赤茶色の素焼きで、中に食材を入れて鍋のように煮るために使われたとされるかめ。いずれも奈良から平安時代の土器と推定され、周辺に古代の集落として人が生活する場所があったことを証明している。
 文化遺産課の丹野拓主査は「今回、土器は古代のゴミ捨て場だった『土坑』とみられる穴から見つかった。おそらくこの場所は高家遺跡の端の方ではないか。全容は分からないが、遺跡の一端を垣間見る発見と言える」と話している。
 出土品については、今後洗って破片を組み合わせるなどし、形や技法で詳細な年代を絞り込んだ上で、県が保管。文化財年報で紹介していく。町が計画している水防倉庫の移転予定地でも同様に発掘調査を行う。