昨年9月、東日本大震災の被災地を訪れたことは先週の小欄にも書いたが、最も印象に残った場所の一つが、宮城県石巻市の大川小学校だ。当時学校にいた児童78人(全校児童108人)のうち74人、教諭は11人中10人が津波にのまれて犠牲になった。約4㌔内陸の大川小を津波が襲ったのは、地震発生から51分後。破壊された校舎や、すぐ裏手に山がある現場を目の当たりにして、一番に頭に浮かんだのは、なぜ裏山に避難しなかったのだろうかという疑問であったことは今でもはっきり覚えている。
 大川小学校の悲劇について少し記憶が薄れていた人も、先日の報道で思い出したのではないだろうか。犠牲になった児童のうち23人の遺族が石巻市と宮城県を相手取り、損害賠償を求めた裁判の判決が大きく報じられたのはご存知のことだろう。仙台地裁の判断は、防災無線などで津波の襲来を予見できたが、教諭らが子供を守る適切な行動を怠ったと認めた。遺族の悲しみを軽々に論じることは筆者にはできない。ただ、この裁判は、なぜ子供たちは命を落とさなければならなかったのか、命を守るには何をしなければならなかったのか、日本中の教育現場に考える機会をあらためて与えてくれたと思う。
 大川小に通っていた当時6年生の娘をなくし、小さな命の意味を考える会代表として活動している佐藤敏郎さんの言葉が忘れられない。「先生方も一生懸命だったはず。でも救えなかった。それはなぜかを考えなければならない」。海岸線に位置する日高地方は津波を避けて通れない地域。過去の教訓は生かすためにある。同じ過ちを繰り返さないための準備は万端だろうか。今一度考えたい。(片)