集団登校児童の列に突っ込み、10人が死傷した亀岡の事故。運転していた少年は無免許で、居眠りが原因だったという。仕事で徹夜明けだったわけでもなく、知人の車で仲間と朝まで遊んで回っていたあげくの惨事。「取り返しがつかない」とはこのことで、さだまさしの『償い』という歌を思い出した人も多いのではないか。
 石田衣良の『明日のマーチ』という小説もよく似た話。派遣切りにあった若者4人が山形から東京まで歩いて旅をする。頼れるアウトドアの達人、修吾は寡黙で自分を語らないが、4人が派遣切り社会に対する抗議行動の象徴として注目を集めるなか、旅の途中で素顔が見えはじめる。取り返しのつかない彼の過去、自分が犯した罪に向き合い、歩き続ける「償いの旅」が心を打つ。
 「だれでもよかった」「とにかく人を殺したかった」という無差別殺傷事件など、なんの落ち度もない人が理由もなく被害に遭う世の中。こうした犯罪被害者の実態はあまりに悲惨で、一生治らぬ重い後遺症に苦しみながら、損害賠償を求めて勝訴したとしても、実際に判決通り支払われるケースはほとんどないという。なぜか。多くの犯罪者とその家族は、刑をつとめて出所すれば、償いは済んだと考えるからである。 
 亀岡の事故を起こした少年たちの罪は、償いきれるものではないかもしれない。しかし、現実から逃げず、自分と被害者に向き合い、できる限りの誠意を示し続けねばならない。刑を何十年つとめても、遺族の悲しみと怒りは1㍉も小さくならない。人を絶望から救うのは人の気持ちしかない。先が見えない、暗闇の中の「明日のマーチ」を歩き続けてくれると信じたい。 (静)