釈迦の誕生日である4月8日、 市内富安の鳳生寺で「お写経の会」を取材した。 参加の方々は本堂で般若心経600字を書き写す。 毎年、 花祭りと秋の彼岸入りの日に開かれる恒例行事だ◆筆を手に経文を一心に書き写していく、 という写経の様子を拝見して思い出したことがある。 昔、 習字教室でガラスペンという筆記具を知った。 墨汁をつけると硬質な細い線が書けて、 下手な字でもそれなりにきれいに見えるように思った。 字を書くことが好きになり、 本から好きな文を拾い出しては書き写していった。 その幾つかは、 今でもところどころ暗唱できる◆20代初めの頃からワープロを使い始め、 キーの位置を覚えるためいろんな本の気に入った文章を打った。 それから現在までメモを取る以外筆記具を使うことはほとんどなくなったが、 ガラスペンで一心に書いた時とは違い、 当時打った文章はほとんど頭に残ってはいない◆手と頭の働きには密接な関係があるという。 手を働かせることは頭を働かせることであり、 心をも鍛えることにつながる。 また漢字は表意文字で、 一字一字が意味を持つ。 手を動かして字の形をなぞるように1画1画きちんと書いていくことが、 その文字の心を自分の心に刻み込む結果となっているのだろうか◆取材のあと、 境内で甘茶をごちそうになった。 同寺に自生するアジサイの一種アマチャの葉で入れた、 本物の甘茶だ。 天然の甘みは予想以上で、 その奥からにじみ出るほのかな苦みは爽やかにさえ感じられた。 パソコンに慣れ、 自分の手を動かして文章の心を深く感じとるという境地から遠ざかって久しい身にはぜいたく過ぎる、 「甘露」 の味わいであった。 (里)