12111.jpg 平成17年、妙枝さん(75)の在宅介護は不可能となり、デイサービスやショートステイも利用するようになったが、どこも問題行動のため受け入れを拒否され、日高病院の精神神経科に入院した。二男夫婦の文寿さんとまゆみさんは「本当にこれでいいのか」と自問しながらも、老老介護に疲れ果てた父の姿に、「このままではみんなが共倒れになる」と考えての決断。その直後、妙枝さんを介護していた茂實さんが入院、約1カ月後に亡くなった。
 食事は毎日、まゆみさんが作って届け、瓦職人の文寿さんも朝、出かけるまでに妙枝さんをデイサービスの車に送り届け、現場の状況が許せば妙枝さんをトラックに乗せて仕事に出かけた。他の職人らは文寿さんがなぜ母親を現場に連れて来ているのか、とくに理由を聞かなかったし、文寿さんもいちいち説明はしなかった。一日一日の生活が精いっぱいだったそんな日々、事情を知らない周囲の人の勝手なうわさ話が聞こえ、親不孝よばわりの言葉の暴力に傷ついたこともあった。認知症の問題行動がひどくなった妙枝さんは在宅だけでの介護が難しくなり、施設や病院にも受け入れてもらえず、日高病院精神神経科に入院。これで茂實さんは緊張の糸が切れたか、妙枝さんの入院からまもない平成18年6月、家で転んでけがをした。
 茂實さんは本人の意思でしばらく通院治療を続けていたが、体調が悪くなったため6月22日に北出病院に入院。約1カ月後の7月20日、85歳で亡くなった。亡くなる5日前、病室のベッドでむくっと向き直ったかと思うと、文寿さんとまゆみさんに拝むように手を合わせ、ボロボロと涙を流しながら、「文寿、まゆみ、すまなんだよ。こんなおじいですまなんだよ...」と詫びた。まゆみさんは「あのときは主人と『気の強い、しっかりしたお父さんが(泣いて謝るのは)初めてやな...』 と、しみじみ顔を見合わせました」という。
 妙枝さんが認知症になってから6年が過ぎ、この間、 長男の妻、長男に続き、つれあいの茂實さんも逝ってしまった。茂實さんの死後、脳こうそくを起こしてからは寝たきりになり、デイサービス、 ショートステイを利用しながら文寿さんとまゆみさんが実家で面倒をみた。以前のような徘徊はなくなったが、毎日の介護は骨が折れた。食事はのどの通りが悪くなって、食べ物が詰まることもあり、時間をかけて食べさせなければならなくなった。また、おむつの交換をいやがる抵抗力はすさまじく、足をばたつかせ、手で体をつねり、ひっかき、あお向けの状態で顔にツバを吐きかけたりもした。そんなある日、文寿さんがその格闘の際、ふとつぶやいた言葉に妙枝さんの表情が変わった。両目からすうっと涙が流れ、家族の顔も忘れるほど認知症が進んでいても、言葉で瞬間的に気持ちがつながったことに驚いた。
いつも仲良く一緒だった茂實さんと妙枝さん
12112.jpg 茂實さんが亡くなって約2年後の昨年7月、妙枝さんは茂實さんと同じ北出病院で息を引き取った。享年78。認知症とは8年の闘いだった。病院から自宅まではまゆみさんが車を運転、後部座席で文寿さんが「おばあ、しんどかったな。もうこれで家へ帰れるな...」と、冷たくなった妙枝さんをしっかり抱きかかえていた。まゆみさんは、文寿さんやケアマネジャー、病院、施設のスタッフ、市の職員、近所の人ら大勢の人に支えられ、体調を崩しながらも乗り切ることができた。しかし、心身ともにタフだった8年間も、これでもう二度と大好きだった妙枝さんに会えないと思うとさみしさがこみ上げ、しばらくは「介護うつ」の状態に陥った。
 
 両親のすぐ近くに長男の家族と二男の家族が暮らしていた。大正生まれの父と2人の息子夫婦がうまくやってこれたのは、なにより茂實さんと息子の家族をつないだ母・妙枝さんの存在が大きかった。秋になると、茂實さんに内緒で「食べやんせ」と新米を持ってきてくれたり、なにかと文寿さん夫婦を気遣い、フォローしてくれた。自身の認知症が出始めたころには、まゆみさんの実母が病気で危篤となった。このときもそれを誰よりも悲しみ、日記に「まゆみちゃんのお母さん、何とも気の毒でどうしようもない。山や川も平気な元気な人やったのに。なんとかなおってくれればいいけど」と震える文字で記していた。
 8年間に義理の両親と兄夫婦の4人が亡くなった。仕事と介護に忙殺されていたまゆみさんは妙枝さんの死後、脱力感に襲われ、2カ月ほどは外出もできないほど落ち込んだ。しかし、幸いにも周り温かい家族や友人がおり、ビーチボールバレー「ポップコーン」やインディアカ「ライム」の仲間がやさしく声をかけてくれた。いまはその人たちに感謝しながら、同じ認知症の家族の介護をしている人には、「認知症の人には否定や命令口調は絶対にダメ。しんどいですが、やさしく接し、疲れたときは無理をせず、行政や福祉の専門家の人に相談してください。プライドが邪魔をして無理をしてしまう人には、家族や周りの人が目をはなさないで」という。
 ことし4月、母親の介護に尽くしたタレントの清水由貴子さんがうつになり、父親の墓前で車椅子の母親を道連れに硫化水素で無理心中を図り、亡くなるという衝撃的なニュースが流れた。認知症に限らず、介護の現場には介護をされる人と介護をする人だけでなく、介護をする人を見守る人が必要だ。