
「深夜特急」「一瞬の夏」等、読み応えのあるノンフィクションを次々に発表している著者、渾身の近作をご紹介します。
あらすじ 著者は、現在(取材当時)は70代になっている西川一三という人物を取材する。彼は第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入していた稀有な体験の持ち主である。
未知なる世界への好奇心に突き動かされ、極寒の雪道、延々と続く砂漠、幾重もの峠、匪賊の襲撃や飢えを乗り越えて、8年にわたり中国北部からインドまでの果てしなく長い道を歩み続けてきた。
チベットからインドへ向かう道で日本の敗戦を知り、密偵としての任務が失われたことを知るが、それでも新たな世界への探究をやめることはできなかった。ヒマラヤを幾度も越え、さらに奥へ、奥へと。
彼の果てしない旅と人生を、著者は1年間の徹底的なインタビューを経て描き出していく。彼が遺した3200枚に及ぶ生原稿、そして50時間の対話。著者は一人の「旅人」の人生に向き合い、それを作品として結実させる。しかし、その作業が始まる前に、西川は他界していたのだったが。
本書の冒頭で、著者は西川一三という人物を彼の著書「秘境西域八年の潜行」で知ったことを明かし、密偵や巡礼としての日々を含めた彼の人生そのものに関心を覚えたこと、取材を申し込み、1年間に及ぶインタビューを敢行したことを述べています。
正直私には、8年間の長大なヒマラヤの「旅」そのものよりも、著者と、取材対象である西川氏との関わりのあり方が興味深く読めました。そこに、この長大な作品のエッセンスが凝縮されているように思います。
あまりにも有名な著書「深夜特急」に見るように、著者にとっても「旅」はなじみ深いテーマでした。しかしこの西川氏の「密偵」としてのラマ僧に扮しての長い旅は、若き日にありのままの自分自身として幾つもの国を巡った著者の「深夜特急」の旅とは本質的に異なるようです。
「天路」という魅力的な言葉で表されるヒマラヤでの旅の日々は、その風俗、過酷な自然環境の描写とともに、同行の仲間や出会う人々との絆が、淡々とした書きぶりだけにより強く伝わってくるように思いました。
実際に追体験することの困難な過酷な旅の中に、すべての人に通じる「生」の本質が描かれているようです。(里)

