日本一の梅産地のみなべ町で、主力品種の南高梅の収穫が始まった。まちは梅一色となり、農家は朝早くから夜遅くまで出荷作業に追われる時期。ところが、今年は暖冬で不完全花が多かった影響で稀に見る不作が予想されている。加えて降雹(こうひょう)で傷のついた果実の増加、果汁を吸うカメムシの被害が多発し、複数の悪条件が重なった。収穫がピークとなる今月末には台風の接近も心配される状況で、農家にとってはかつてない厳しい年となりそうだ▼みなべ町の梅栽培の歴史をみると、江戸時代初め、田辺藩主が梅栽培を奨励したのがきっかけ。その後、開国による貿易で生糸、絹織物の需要が増加し、梅よりも収入が見込まれる蚕養殖に転向する農家が続出。梅が伐採されて桑が植えられたが、1901年(明治34)、青年実業家だった内中源蔵氏が熊岡地内の扇山を買い取り、4㌶の梅畑を開墾。その後、優良品種の南高梅の本格的な栽培が始まった▼しかし、すんなりと日本一の産地となった訳ではない。昔は「南高梅は果実に紅が入っている。これは梅ではなく桃」と市場で受け入れられなかった。台湾や中国からの安い梅の輸入で大きな打撃を受けたこともあったほか、原因不明で梅が枯れる生育不良が発生したこともあった。しかし、いずれも先人たちが英知を結集し、苦難を乗り越えて今の産地がある▼今年の大不作も近年では大きな苦難だが、梅栽培は今年だけで終わることはなく、未来にわたって続けられる。将来、「自然環境や病害虫の対策が講じられ、梅の生産が安定した」と梅栽培の歴史に記録され、今年の状況を振り返る日が来ることを願う。(雄)