「人はどんなことにでも慣れられる存在だ」とは、ロシア人作家のドストエフスキーの名言の一つ。生きていくためにどんな過酷な環境であっても慣れるようにできているといわれる。生きている以上、誰しも大なり小なり困難にぶつかりながらも、乗り越えたり、うまく回りこんだり、また一度立ち止まったりして前に進んでいる。慣れるとは、いいように言えば順応しているといえる。いい意味がある反面、慣れてしまってはいけないこともたくさんある。慣れによって関心が薄くなってしまうことはいいことではない。

 2月24日にロシアがウクライナに侵攻してもうすぐ5カ月になる。今の時代にこんなことが実際に起こるなんてと、衝撃を受けた人がほとんどだったと思う。多くの民間人が犠牲となり、今もなお被害は増すばかりだ。しかし、ウクライナ情勢を伝えるニュースは少しずつ減っていき、同時に関心も当初よりも薄れてしまっているのが現状ではないだろうか。ニュースを報じる側として、伝え続けることの大切さや責任をあらためて感じる。

 安倍元首相が銃撃され命を落とすという前代未聞の事件、新型コロナ感染の急拡大、参院選、物価高、円安、ニュースは日々更新され、新しい情報があふれる。常に新しいことを伝えるのが報道の使命であり、衝撃的なことがあればあるほど古いニュースは追いやられがちになるのは痛いほどよく分かる。そんな中でも多くの人に関心を持ち続けてほしいことをどう伝えていくかを考え続けることも、我々に課せられた使命の一つ。人は忘れていく生き物でもある。読者が関心を高められるよう、報じる側が慣れてしまわないよう自らを戒めたい。(片)