たとえば、がんという病気。検診技術と医療の進歩に伴い、早期の発見、治療によって多くは治る割合が高くなり、日本では30年ほど前まで2割に満たなかった患者への告知率も、いまや100%に近づいた。

 告知は、患者自身が病気を受け止め、正しく知り、医師の十分な説明を受けて治療法を選択し、「ともに病気と闘って克服する」という強い気持ちを持つためにも重要。とはいえ、いまでも患者と家族の精神的な衝撃は小さくない。

 自分と家族、身近な人もかかってほしくない。できることなら、そんな言葉は見たくも聞きたくもない。がんとは戦争と同じ人類共通の敵であり、その克服が永遠のテーマといえる。

 平和な国際社会を築くためには、戦争という概念そのものを抹消すればよい。戦争とは何か。それを知る人間がいるから戦争が起きるのであり、戦争を知る人間がいなければ戦争など起きるはずがない。というのは星新一の小説の話。

 大戦後のある国家。平和な日常を維持するため、地下の特殊警察機構が戦争に関する一切の文献、情報を焼却し、通信を盗聴し、戦争の「セ」を口にする国民を徹底的に監視する——。現実のいまの日本はどうか。

 米国による都市部の無差別爆撃、広島と長崎への原爆投下、日本軍が沖縄戦で敢行した特攻作戦など悲惨な戦争を経て、80年近くたったいまもなお、戦争を恐れ、憎むあまり、現実の直視を避けてはいまいか。

 子宮頸がんワクチンの一部の副反応事例が発端の定期接種の積極勧奨中止もしかり。恐れるばかりでは国民を守れない。病気も戦争も100%予防はできない。現実に向き合い、敵を知り、強い意志を持たねば、克服も避けることもできない。(静)