ツイッターで、小学校での体験を紹介したあるツイートが話題となっている。

〝小学生のとき 私「掃除終わりました」教師「まだ3分余ってるぞ」私「もうキレイです。終わりでいいですか?」教師「本当か?やれることを探して、時間いっぱい掃除するんだよ!」 と怒られて以降、時間ピッタリで終わるようにダラダラ掃除してた。頑張ると損する制度は、ずっとおかしいと思ってる〟

 掃除の時間、早く終わらせようと一生懸命頑張ったのにもかかわらず、かえって先生に怒られてしまったことで、たとえ頑張ったとしても無駄なんだと悟ってしまったことがツイートからうかがえる。

 それは多くの人が感じているだろう。仕事・家庭・友達・恋愛、どんな場面でも、相手や周りがどう喜ぶか思考を張り巡らし、自分のベストを尽くしたとしても、結局いいリターンが返ってこなければ「頑張っても損をするだけ」だと思っても仕方がない。昔から「努力は必ず報われる」とか「苦労は買ってでもしろ」という類いの言葉が若者を鼓舞する励ましの言葉として使われることがあるが、もはや美談に見せかけた搾取の言葉にしか思えなくなってしまった若者も少なくないはず。

 子どもの頃はよく「何事も一生懸命頑張りなさい」と言われることが多かった。大人になって社会の理不尽さを味わった今となっては「頑張っても都合の良い人間になるなら頑張らない」と思うようになった。よくよく思えば「頑張った」は具体的な評価指標がないし、かなり曖昧だ。「頑張っている」と評価するのはその人のさじ加減でもある。

 何かと気疲れする時代。「頑張った」を自分次第で決められればそれでいい。そうすれば、きっと皆がゴキゲンに生きられるのではと思う。(鞘)