今月のテーマは「有吉佐和子」。「紀ノ川」「有田川」に続き、「日高川」も書かれました。生前ご本人が「通俗的」として全集に入れず文庫化もされなかったのは残念。
 日高川(有吉佐和子著、文藝春秋社)
 源流の龍神温泉に始まり、ヒロインの運命の変転が道成寺伝説になぞらえて書かれます。日高地方の食文化や風俗が豊かに登場し、全編引用したいぐらいですが、今回は主人公が御坊で遭遇した7・18水害の描写をご紹介します。

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 この日、七月十八日、日高川の上流はもう未明から赤く増水して、川面は盛り上がり、田や人家を呑みこみ始めていたのだ。(略)
「頼みますッ」玄関をがらッとあけて数人の女子供が飛びこんできた。道を歩いていたのが、驚いて救いを求めてきたのだった。人間と一緒に濁流が戸口の敷居の間から吹き出してきた。(略)

 水は階段を五段まで浸してしまっていた。窓から見下すと水は町の街路をすっかり浸して、十字路もすっかり茶色く塗り潰され、流水は箪笥や飯櫃や塵芥箱のようなものを矢のように早く走らせている。突然の、あっという間の出来事だったから、どの家でも物を高いところへ上げる暇はなかったのだろう。「あッ、豚や、豚や」到が叫んだ。大きな豚が泥水の中を足掻きながら流されていった。