国の文化審議会は17日、新宮市の新宮下本町遺跡、湯浅町からみなべ町にかけての熊野参詣道(紀伊路)など県内の文化財3件を国史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申した。熊野参詣道の紀伊路には3カ所の王子跡と2カ所の参詣道があり、日高地方では日高町の鹿ケ瀬峠、印南町の切目王子跡、みなべ町の千里王子跡と千里王子跡北東参詣道が追加指定となる。

 今回、国の史跡に指定するよう答申したのは、和歌山市の和歌山城(扇の芝)、新宮市の新宮下本町遺跡、熊野参詣道(紀伊路)の3件。このうち新宮下本町遺跡は新規、和歌山城と熊野参詣道は追加指定となる。

 熊野参詣道の史跡指定対象文化財は、湯浅町の逆川(さかがわ)王子跡、日高町原谷の鹿ケ瀬(ししがせ)峠、印南町西ノ地の切目王子跡、みなべ町山内の千里王子跡と千里王子跡北東参詣道。

 広川町と日高町にまたがる鹿ケ瀬峠は、熊野参詣道紀伊路の難所の一つとして知られる。紀南と紀北の境界として紀南への戦略的要衝となり、中世には鹿ケ瀬城(山城)が築かれていた。対象地は原谷区内の小峠と呼ばれる付近から下る坂道で、近世以前に築かれた約500㍍の石畳の区間には、室町時代の題目板碑と石仏が現存している。

 切目王子跡は、五体王子と呼ばれる九十九王子の中でも主要な王子跡の一つで、境内には木造春日造檜皮葺の本殿がある。1200年に後鳥羽上皇が歌会を開いて懐紙に歌をしたためた場所であり、1159年の平治の乱では、平清盛が熊野詣の途中に切目王子で知らせを受けて引き返し、源義朝に勝利した逸話も伝わる。

 千里王子跡は、アカウミガメの産卵地として有名な千里の浜に面した王子跡。浜辺で貝を拾って社殿に供える風習があったことから「貝の王子」ともいわれ、1417年に足利義満の側室北野殿が熊野詣の際に拾った貝も奉納されている。北東に流れる川沿いにある参詣道は、千里王子跡から三鍋王子跡に向かう約200㍍区間で、歴史を感じる風景を残している。

 いずれも県の史跡に指定されており、格上げされる形となる。熊野参詣道の紀伊路ではすでに10カ所の国史跡があり、今回の追加指定で15カ所になる。

日高町の鹿ケ瀬峠