事故当時の様子を話す鷲見さん

 日高高校で2日、県警の「命の大切さを学ぶ教室」が開かれ、高校2年生の息子を交通事故で亡くした三重県の鷲見(すみ)三重子さんが「いのちの灯りを灯して」をテーマに講演した。

 鷲見さんの長男拓也さんは1997年、部活帰り、横断歩道で脇見運転の車にはねられ、亡くなった。鷲見さんは夕食の準備をしていると、学校から『息子さんが事故に遭ったので学校に来てほしい』と連絡が入った。大したことないだろうと思って車で向かったが、途中、事故の影響で大きな渋滞ができているのを見て大事故だったことに気づき、足が震え、頭が真っ白になった。

 病院では医師から「運び込まれたときには、処置のしようがなかった。覚悟してください」と告げられた。「『私の子が死ぬはずはない。何をおかしなことを言っているんだ』と、受け入れることができませんでした」。事故から2週間、毎日、朝日に祈り続けた鷲見さんだったが、拓也さんは目を開けることも話すこともなく息を引き取った。

 「私たち家族は拓也が亡くなった5月8日で止まってしまった。夫と娘との3人の生活ですが、笑い声はなく、ただ朝がきて、昼がきて、夜がくるだけの毎日」。しばらくは悲しみに沈みきった日々を過ごしたという。

 その後、学校や生徒会の働きで事故現場に信号機ができるなど、多くの人の活動や人との出会いを通じて立ち直り、現在は「命の大切さ」を訴えるための活動を行っていることも説明。「拓也が息を引き取った時、この世には神も仏もいないと思った。でも今では、拓哉が必死で生き抜いてくれた2週間は、最後の親孝行だったのだと思うことができます」と述べ、最後に生徒たちに「社会のルールを守り、言葉を大切にしてください。それが自分の命も人の命も守ることになります」と呼びかけた。