また1年が過ぎようとしている。仕事から帰ると、テーブルにその日の郵便物が置かれており、ちらほら喪中はがきが混じり始めた。いまは外へ取材に出ることが少なく、振り返れば新たな出会いより別れの方が多かった気がする。

 こんな状態が続くほど、必然的に年賀状をやりとりする人は少なくなっていく。実際、友人や親類にも年賀状だけのつき合いとなった人が増えており、年末に慌てて年賀状を準備しながら、手書きで添えるひとことさえ、毎年同じになってしまっている。

 もう30年近く前になるが、記者の仕事を通じて出会った方からいまも年賀状をいただく。取材で痛恨のミスをしでかし、多大な迷惑をかけてしまったときも、「大丈夫」とにこにこ笑って流してくださり、いまも変わらずおつき合いいただいている。

 その温かい人柄は、毎年の年賀状によく表れている。印刷ではあるが、はがきいっぱいに細かい字がぎっしり。昨年1年間の自身と家族の出来事から現在の趣味や健康状態、最後はいつも干支に絡めてささやかな新年の抱負が書かれている。

 子どもが生まれ、夜泣きがすごく眠れないとヨマイをこぼしたときは、「そら大変やろけど、子どもが健康で育つことほど幸せなことはないんやで」と笑っておられた。そのときは若くピンとこなかったが、まさに冷酒のようにいま、しみじみ実感している。

 人生の大先輩は来年で90歳。昨年は入院と手術もされたが無事回復し、今年(丑年)の年賀状には「黙々と働く役牛のようにねばり強く努力を積み重ねたい」と書いておられた。

 人それぞれ夢や目標は違うが、皆さんの何気ない日常の幸せを願いつつ、そろそろ年賀状の準備にかかろう。
(静)