写真=スライドを使って説明する五味田次長

 みなべ町の南部長寿大学の10月講座が18日、南部公民館で開かれ、田辺市の植芝盛平記念館の五味田潤一次長が「合気道創始者植芝盛平翁について」で講演した。

 五味田次長は、植芝氏(1883~1969)は幼少期は体が弱く、心配した父が心身を鍛えるために相撲や水泳をさせたことが足腰や負けん気を強くしたこと、日露戦争に出兵後、29歳で北海道開拓へ向かい、マサカリで1年間に500本以上の大木を切り倒した逸話などを紹介した。

 若いころから古武道の「起倒流柔術」などさまざまな武道をたしなんでいた植芝氏は1922年(大正11)、起倒流・新陰流・大東流などの古武術や剣術・槍術・銃剣道などの武器技などを取り入れた「合気柔術」を創始。身長157㌢と小柄ながら誰にも負けない強さを持ち、「傷つける武道は武道ではない」と合気武術から合気武道へと進み、42年(昭和17)、相手との勝敗を競うのではなく、内面・人格を完成させるための武道として正式に「合気道」を完成させた。五味田次長は「盛平翁は『真の武道は破壊殺傷の術ではなく、破邪顕正(はじゃけんしょう)こそ真の武道である』とおっしゃっていた。破邪顕正とは不正を破って正義を明らかにすることです」と話し、現在も盛平翁の意志を受け継いで発展していることを話した。