写真=慰霊塔に墨入れする弥谷区民

 1953年7月18日に起こった紀州大水害を後世に語り継ぎ、今後の災害に備えるため16日、日高川町弥谷区で山津波の犠牲になった85人の慰霊塔の文字に墨入れが行われた。

 68年前の7・18水害は、集中豪雨により、県中部を中心に山崩れや崖崩れ、洪水が発生。当時川上村だった弥谷区では山津波が発生し、一瞬にして85人もの尊い命が奪われた。
 慰霊塔は3年後の56年秋に地域住民らによって建立され、現在も絶えることなく花が供えられているが、彫られた犠牲者の名前が見えにくくなっているため、住民の手で名前に黒い色をつける墨入れを行うことにした。

 この日は、10人の区民と役場職員、小畑貞夫町議会議員のほか、墨入れを提案した和歌山大学災害科学レジリエンス共創センターの客員教授後誠介さんも参加。遍照寺の中村弘明住職の読経の中、焼香を行ったあと、中央に大きく彫られた「慰霊塔」の文字が黒く塗られ、表面の85人の犠牲者の名前も今後、住民らで塗り進めていく。

 災害の年に生まれ、祖父母やおじ、おば、いとこを亡くしたという井原常弘区長(68)は「子どものころは、くっきり見えていた慰霊塔の文字が読みにくくなってしまい、念願の墨入れができてうれしく思います。改めて、慰霊塔を後世に残すことで、慰霊の気持ちや被害を伝え、防災に努めたい」と話していた。 
 墨入れのあとは、川原河の山村開発センターで、町主催の防災講演会が開かれ、防災教育、地盤災害、地震災害、地質学が専門の後さんが「土砂災害を知って備える」をテーマに講演した。