筆者の同級生で日高高校時代(1992年卒)の同じクラス、縁あって日高新報にそろって入社して25年、苦楽をともにした湯川賀弘記者が逝った。

 学生時代の愛称は「ガヒー」、キリッとした眉の男前で伝説のロックバンド「BOØWY」の布袋寅泰さんに似ていて(目の辺り)人気者だった。入社後は何をするにもほぼ一緒。仕事が終わればパチンコに行き、勝てば居酒屋へ。互いに仕事の愚痴をこぼしながらも楽しくビールを飲み、遅くまでボウリングやカラオケも。いつも遊び方が豪快だった。一方で筆者が飲み過ぎて車で寝ていた時、翌朝に様子を見に来てジュースを差し出し、ただ一言「大丈夫か」。そんなやさしさが心に残る。

 仕事では入社当時から即戦力で記事を書き、持ち前の笑顔と人柄で会社や取材先でもやはり人気者。豊富な知識、そして記憶力がすごい。日高新報の過去記事を探す時も、何年何月何日に載っていると教えてくれ、まさに生きた検索マシーンだった。新聞を隅々まで読み込み、新聞が大好き。日曜は取材のため休むことはほぼなく、取材がなくても会社で記事を書いていた。働き過ぎは否めないが、この仕事が天職だった。

 自分たちが楽しく、そしてみんなを盛り上げていこうと、2人の名字の頭文字を取って「ワイワイ(YY)コンビ」と名付けてくれた。特別な仲間という感じでうれしかった。1年2カ月の闘病生活の中でお見舞いに行ったときは「元気やで」と拳を握って笑顔をみせ、弱音は一切吐かず。奥さんによると、最後にみんなに伝えたい言葉は「ありがとう」だったという。こちらこそ本当に、本当にありがとう、紙面を借りて感謝を届けたい。   (吉)