写真=花束を供えて冥福を祈る佐藤隊長

 太平洋戦争末期の1945年7月28日、由良町糸谷の由良湾で大日本帝国海軍の第30号海防艦が米軍艦載機(グラマン)との激戦の末に沈没し、乗組員約100人が戦死した。あの日から76年の28日、海上自衛隊由良基地分遣隊の佐藤浩隊長(53)らが現場近くに建立された慰霊碑を訪れて手を合わせた。

 海防艦は同日午前9時すぎ、米軍機からの攻撃で被爆。約200㌧の燃料に火がつき、炎と黒煙を上げて甲板は修羅場と化したという。住民も誘爆を避けるために爆雷の陸揚げ作業や負傷者の救護に当たったが、火災は収まることなく、約14時間後の午後11時に沈没した。

 慰霊碑には「戦死者供養塔」「紀伊防備隊鎮魂碑」と書かれ、海に面した道路沿いの高台に建立。佐藤隊長らは黙とうで犠牲者の冥福を祈り、花束を供えた。佐藤隊長は「国や家族を守るために命がけで戦われた。今の我々があるのも尊い命の犠牲があったからだと思います」と話していた。