みなべ町が東吉田地内の「上城(うえんじょ)遺跡・上城城(うえんじょじょう)跡」で行っていた発掘調査で、新たに古墳時代の竪穴建物と室町時代の掘立柱建物の遺構や、土師器、須恵器が見つかった。以前から遺跡があるといわれていたが、生活がわかる本格的な遺構が見つかったのは初めてで、当時を知る上で貴重な資料となりそう。17日午後1時からは一般向けに現地説明会が開かれる。

 場所は鎌田池公園近くの丘陵地。小字が上城で、地元住民が昔から「うえんじょ」と呼んでいる。1959年に地元住民が縄文時代の打製石器を見つけたことから「上城遺跡」として埋蔵文化財包蔵地に認定され、中世には上城(うえしろ)氏の居城があった場所と考えられていることから「上城城跡」として遺跡にも認定されている。周辺の平地部には東吉田遺跡、徳蔵地区遺跡、大塚遺跡などが広がっており、縄文時代以降の集落があったことが調査結果から判明している。さらに北西には中世の高田土居城跡(町指定史跡)があり、上城城跡との関連が考えられている。

 今回、民間の宅地開発に伴い、9月から町が県教委の指導で南北に細長い約400平方㍍で発掘調査を行っていた。新たに見つかったのは、室町時代(15世紀ごろ)の建物と考えられる掘立柱建物跡が2基と、古墳時代の竪穴建物跡2基。掘立柱建物跡は北側が縦横5・4㍍四方、南側が1・8㍍四方の大きさ。北側の建物跡をさらに掘り下げると、古墳時代の竪穴建物跡が2基並んで検出された。うち1基の東壁ではかまどの痕跡が確認され、建物跡の周りには古墳時代中期後半(5世紀ごろ)の土師器や須恵器も見つかった。

 県文化遺産課の仲辻慧大副主査は「縄文時代の石器が見つかってから、遺跡があるだろうとされていたが、実際に遺構が見つかったことで、古墳時代や中世に人々が暮らしていたことがはっきりしたといえる。どういった理由で丘陵地に人が住んだのかは分からないが、当時を知る資料となる」と話している。

 現地説明会についての問い合わせはみなべ町教委℡0739―74―3134。

写真=発掘調査で竪穴建物などが発見された遺構(上が北)