今年11月で没後50年を迎える三島由紀夫。多くの大作とは趣の違う、「講座」の名を借りたエッセイ集をご紹介します。 

 内容 貧窮時代に寒さと飢えにこごえていたところへ湯気の立つまんじゅうを振る舞われたうれしさを、何十年たって出世してから思い出し、探し出して大御馳走なんかして「おかげで私もこれだけになりました」言った方も言われた方もしばし感涙にむせぶ。こういう話は何となくイヤらしい。出来心で人にまんじゅうを振る舞ったばかりに数十年後、美談の片棒をかつがされる羽目になる。昔恩になった人に逢うと「恩」という字が二人の間を一閃の稲妻のように通り過ぎる。これはなんだかヘンな瞬間である。人に恩を施すときは小川に花を流すように施すべきで、施された方も淡々と忘れるべきである。これこそ君子の交わりというものだ。(「人の恩は忘れるべし」)

 うぬぼれというものがまるでなかったら、この世に大して楽しみはない。女性の大抵の病気は、街で会った見知らぬ女が自分と同じ洋服を着ていて、しかもそれが自分より似合っていて美人だった、などという発見から生まれる。「何だ、私のマネをしているわ。似合いもしないくせに」と本気で言えるうぬぼれがあれば、病気にかかる心配もない。(「できるだけうぬぼれよ」)

 「大いにウソをつくべし」「教師を内心バカにすべし」「友人を裏切るべし」…目次には、「反道徳的」なタイトルのオンパレード。不道徳的な行為を大いに奨励しているようでいて、実は健全で人情の機微に通じた価値観に貫かれた、軽妙でエスプリあふれるエッセイ集。自身の美学に殉じたりせず生き永らえてくれていたら今年で95歳。彼の目に、2020年のこの世界はどのように映るのでしょうか。